だいぶ前に、セラピーの先生が
「嫌なこともね、スーッと通り抜けていくから。
(潜在意識の中に)引っ掛かりがなくなるとね、体を通り抜けていくんだよ」
と仰っていて、
その時はまだそんな状態には程遠かったので「へえーそんなものなのかなあ」
くらいにしか思えなかったのだけど
昨日の夜、ひっさびさにギュウギュウ鮨詰めの満員電車に乗らざるをえなくて
乗れたはいいけど、ほんの1mくらい前に若い女の子たちが大きめの声でおしゃべりしていて
(そんな状態でも構わずキャッキャとはしゃげる女子って、ある意味すごいよね…)
以前のわたしなら、疲れてる上にノイジーなおしゃべりにイライラして
「もう嫌だ〜〜!!」なんて、確実に心の中で絶叫してただろうけど
昨日は、それがまったく気にならなくて。
ノイジーなおしゃべりも、ギュウギュウな満員電車も。
「あ、あの時先生が仰ってたことってこういうことだったんだ」と
体験してみて、とても深く納得したのでした。
ノイジーなおしゃべりが、本当に体をスーッと通り抜けて行ったのが分かったから。
自分の潜在意識の中に、「ノイジーなおしゃべり」と、似たような項目を持っているからこそ
・そこに共鳴(アクティベート)して
・同じものが引き寄せられ
・イライラするといったネガティブな反応してしまう
ってことなのだね。
引っ掛かるものがなくなると、そんな状態も微笑ましく思えるから不思議。
もう少しで駅に着くなあ〜とか
帰ったら何食べようかな〜とか
目の前の状況とはまったく関係ないことにまで思考を飛ばせられる。
何なら、目の前の状況を客観的に見て、ポジティブな視点で見ることができる。
一度ニュートラルな視点になって、可能性の視野を高い視点から見渡すことができるから、
そこからポジティブな可能性を見つけることができる。
逆に、潜在意識が真っ黒だった頃は
可能性の視野がとてつもなく狭い状態だったら、ネガティブな可能性しか見ることができなかった。
昔のわたしだったら、選べるパラレルリアリティも、ネガティブな現実しか選べなかった。
だって「あらゆる可能性がある」ってことすらも気づけなかったから。
「こんなに辛い現実以外に希望の可能性なんてあるはずがない」っていう具合に。
満員電車に乗らざるを得なかったのも、先生的に言えば
「出来事は、ただの確認作業だから」
ってことなんだなあと。
「自分がどういう状態になってるか、出来事が起こらないと分からないでしょ」
って。
昨日はまさに、その確認作業だったんだね。
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