うーん、、、言いたいことは分かるけど、、、
読んでる途中でしっくりこない違和感が。
(わたしはみつろうさんのファンであることは大前提ですが、以下個人的な見解です)
そもそも「ピアノの音は不自由だ」っておっしゃるけども、
わたしはちょうど10年前に、ポール(MUTEMATH というアメリカのバンドのフロントマン&メインコンポーザー)のキーボードを聴いて
「こんなに自由なピアノを弾く人がいたのか!」と衝撃を受けたんです。
それまでのわたしが持っていた、キーボード奏者のイメージ・概念が、180度覆られるほどの衝撃。
だから、ピアノの音が不自由だ、という意見は、【ある特定の視点】からの意見であって
それがピアノの可能性のすべてを言い表してる訳ではないと思う。
みつろうさん、ほんとに我が子への贔屓目線を完全に取り除いた状態の視点でお話されてるのかな。
仮にそうであったとしても、これはあくまで【みつろうさんという観測者の視点】でのお話であって
みつろうさんの視点ももちろん正しいけど、
これを読んだすべての人がみつろうさんの意見に賛同しなければいけないわけでは、決して、ない。
- 安定しているピアノの音は、聴いていてどこか「不自由」さを感じるのです。
でも、アセンションを経験すると、その不自由さを自分自身がメタ認知(客観視)できたときに
初めてその「不自由さ」を愛し、自由になれるのだと思うな。
そして、その時点で自由を感じることができたら、どこへ行っても、何をやっても成功することができる。
なぜなら、視点が上がっているから。
不自由さを超えた視点は、自由な視点になるから。
「立場」や「状況」や「周りの人たち」が不自由にしているんじゃない。
「楽器」が不自由にしているんじゃない。
「わたし」が、「現実をどう観測するか」というだけなのだから。
自由になりたければ、外側に原因を追求するんじゃない。
「わたし」が、「自由だ!」と宣言するだけだ。
現実は、わたしの鏡でしかないのだから。
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