6月、いろいろと大変なことが多かった一か月だったけども、
月末近くなって後から振り返ってみると、やっぱり「見直す/見つめ直す」タイミングだったのかなと思う。
体調崩したことで、またさらに食生活を見直すことにもなったし(結果オーライ)
「針の目」という特段重要なタイミングでもあるわけで、
自分の心の、まだまだ奥底に潜んでいたネガティブが、またここで浮き出てきたりもして。
いや、でも、いろいろ出てきてよかったんですけどね。
ここで出てきてくれなかったら、二度と自覚することができなかったかもしれないから。
2021年が始まって半年経ったわけだけど、
たったひと月前の5月とか、もっと言えば6月の中旬ですら、はるか遠い昔のことのように感じるくらい、
1日1日がすごい速さでアップデートしているような気がする。
大変なことがたくさんあるときって、その分、アップデートの情報量がすごいのね。
ブログには詳しく書いてなかったのですが、細かい出来事を書いていくとですね、
6月幕開けのファンファーレとともにお腹が絶不調になり、
同時期、なぜか左足首に謎の痛みが勃発。一切、捻ったり挫いたりしてないのに。
痛すぎてまともに歩けないので、整骨院行こうかと一瞬頭をよぎりましたけど
とりあえず湿布貼って様子を見ようと、とかく皮膚がかぶれやすいセンシティブなわたしは薬剤師さんに相談して、かぶれにくい湿布を購入。
その2日後、めちゃくちゃかぶれる。
痒すぎて夜中に目が覚める。どこが「かぶれにくい」ねん。
お陰で痛みは徐々に引いていきましたけど(湿布の効果よりもはや自然治癒力と足湯の効果のような気もするが)痛みの緩和と引き換えに超絶な湿疹を手に入れる。
徐々に範囲が広がっていき、なぜか左膝の裏、左腰の一部、そして左首筋に及ぶ。
なんか、成分がリンパ通って、汗腺の多い場所に一時的に沈殿してるよね~っていう感じ。
少なくとも石油由来の成分が使われている薬剤全般にいえることだけど、湿布なんて体にいい成分なんてひとつも使われてないよね。これだけ皮膚が全力で排出しようとしてるんだもの。(ちなみに、痒み止めなんざ使おうものなら、ステロイド剤だから余計に悪化するだけなので絶対おススメしません)
なんで今のタイミングで突然左足首が痛み出したかって考えたとき、
思い当たるのは、わたしが小学4年生のとき、左足首を捻挫したことがあったんですね。
その時の古~~い記憶(体/潜在意識に付着していたものを指す)が、体調が元に戻ろうとして遡っているタイミングだから、通過儀礼として、一時的に、その時の状態に戻ったのかな、と。
先日のブログにも書いた通り、セラピーの先生が言ってたみたいに。
「湿布で2次被害」とは書きましたけど、その時に体に沈殿してしまったものも、トリガーとしてこのタイミングで全部排出しちゃったのかもしれない。
もっと言うと、その時になぜ捻挫したかというと、同じクラスの女の子が、学校で無茶をして、骨折しちゃったんですよ。
そしたらクラスのみんな大騒ぎで、松葉杖もしたりで、小学生にとっては最大のインパクト&話題はその子で持ち切り。すごいちやほやされてたんですね。
そんな様子を傍から見てたわたしは
『そうか、、骨折するとあんな風にみんなからチヤホヤしてもらえるのか、、』と思ったわけです。いかにも小学生らしい、小さなエゴです。
そんなとき、誤って捻挫。でもこれ、いま思うと、潜在意識で「怪我してみたい!」と思ったわたしの願いを宇宙がそのまま叶えてくれてたんですね。
骨折だと痛すぎるから、捻挫程度の、ちょうどいい小さなケガで。
そんで、「痛いけど、これでみんなからチヤホヤしてもらえる!」なんてまんまと思ったんですが、
捻挫だと足首に軽く包帯巻く程度で、見た目は全然ケガしてるように見えない。
→ 松葉杖くらいのデカいインパクトが全然ない。
→ だから誰も気づいてくれない。
→ 足痛いだけ。
という虚しい結果になったとさ。。。。
でも宇宙は願いをそのまま叶えてくれてたのか~と、今さら気づきました。チヤホヤはされませんでしたけど、その部分は歪んだ形で叶ってたのかな。「されたい!」という部分が、「されてない!」という現実にそのまま反映されたとか。
まー、あとは○クチン問題ね。これも世間の反応が完全2極化しております。
あなたはどうですか?推奨派ですか?反対派ですか?
これも、自身が抱えてる観念によって、見てる現実がまるで違ってくる。
わたしもネットで調べれば調べるほど「○クチンやべえ!」ってなって、さんざん情報に振り回されましたけど、
そんな自分にはたと気づいたとき、いったん立ち止まって
「結局、わたしはどういう現実を望んでるのか?どんな未来のリアリティに進みたいのか?」と自分に問いかけると、
もちろん「素晴らしい未来」がいいわけです。事実、そういう未来は存在するのですから。
じゃあ、それだと今議論されている事柄に首を突っ込み、渦中に飲み込まれてるわけにはいかないよねーと。
かといって、肯定するわけでもない。
というわけで、現在ひとまず傍観のスタンスをとっております。
幸いなことに、接種は自分で選択ができるので、いったん現状維持。なおかつ、自分が楽しいと感じること、幸せを感じることに集中する。
○クチンが実際のところ、マジでやばいかどうかは本当の問題ではなくて(そこも問題は問題なんですが)
現実に対して、自分がどういうリアクションをしているか、ということに気づく(メタ認知する)ことが一番重要な部分であって。
やばいと思えば、それなりにやばいワクチン(の現実にシフト)になるだろうし、
仮にプラシーボだと思えば、少なくとも自分にとってはプラシーボ(の現実にシフト)になると思います。もしくはワクチンが自分の現実に出てこない、とか。
不安になったとき、基本に立ち返ることを忘れがち。
思い出してよかった。
あとはー、、、「神も仏もあったものだ」と、つくづく思いました。
わたしはスターシード(だと個人的に思ってますが)なので、やや人生ハードモードな初期設定で生まれてきていて、
覚醒していない頃は、10年以上、毎月のように神社に通いながら、
「ああなりたい、こうなりたい」なんて自分の願いを言うだけ言って、
それだけ人知れず信心深く通ってるのに、まっっっったく1ミリも叶う気配すらなくて、
恨むとまではいきませんでしたが「神さまなんていないのかな、、、でも、単純に神社が好きだから、まあいいか」なんて思ったりもしてたけど
これも振り返れば、いつの間にか、
注意していないと気づけないくらい、
当たり前のように、
ものすごく自然な流れで、
当時の「こうなりたいと思っていた願い」が叶っていたりするし、
わたしがいちばん叶えたかったいくつかの願いのうちの、その1つが、いつの間にか、あと少しで叶いそうなほどの距離にまで近づいていたりする、ということに
昨日、ひさびさ神社にご挨拶にいったときに、ふと思いました。
「ああ、時間はとても長くかかったけど、やっぱり神も仏もあったのか」と。
タイミングは人それぞれで(特に私の場合は時間かかる部類です)、あまりにもうまくいかなくて、天を恨むこともそりゃ全然あると思うし、こんな地球に生まれて、そんなことの1つや2つもあって当然ですが、
それでもやっぱり、神さまはいますよ。そんな恨んで苦しんでいるときだって、じっと見守ってくれています。
きっと、その人がもがき苦しんでいる苦しみや辛さの同等の苦しみを全部受け止めて、それでもじっと見守ってくれていると思う。
全部見てくれてるんですよね。
それを知るタイミングも、そういう必要な経験をひと通り終えてから、なんだろうな。
先週末のPARIYA。
美味しくいただきました。
最近は肉食を控えることに加えて、新たに低GI食にも切り替え始めたので、さらに食べれるものが減ってきてしまった。。
どういうものが血糖値を上げやすいか、という視点で世の中のお惣菜を見渡したとき、
血糖値爆上がりするものが8割くらいになっちゃうのね。。
もう普通にスーパーやコンビニとかで何も考えずに買えなくなってもうた。
実験として、少なくとも1か月くらいはやってみて、体調や体がどういう状態になっているかを知りたいと思いますー
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