早く人類も「共生」の時代に入ってほしいなーと思う。
こんなことを当たり前に肯定してしまうのは、
多分わたしの実家が他の惑星(プレアデス・仮)だからという気がする。
捕食の代わりに「エネルギーを吸収して」っていうのはすごいと思うけど。
それはもはや究極の自給自足じゃないか。。
そんなことが可能なくらいに人類の内臓の構造までを変えてしまうには、
何世代かが必要です、って以前バシャールが言ってましたけど。
他の生物の命をいただきながら自分たちのエネルギーとしている人類としては
捕食は生命維持に必要不可欠なので、
いきなり明日から
「じゃ、全人類ヴィーガンで」(←ていうか誰が言うんだい)
なんてことは無理ですけど。。
でも少なくとも必要最低限の捕食で済むような意識まで到達することは可能ですよね。
獲りすぎて余らせて廃棄させてしまったりだとか。
ブロイラーとか、成長ホルモンばっかり食べさせられたりとかの、合理性を重視し過ぎた飼育とかもね。
かたや無駄な暴飲暴食とか、体のためにおいてまったくの無益な食事(ファストフード・ジャンクフード)などは
来るべき次の時代から次第に淘汰されていくと思いますが。
わたしがあまり肉食を好まなくなくなったのは30歳を過ぎてからだけども
20代の終わり頃にいちばん仲の良かった女の子の友達が徹底したアンチ肉食の子で
(魚貝とか卵とかは食べるのでベジタリアンではない)
しばらくの間は「そーなんだー」くらいの感覚でその子のスタンスを受け入れて
一緒にご飯を食べるときなんかも、その子の目の前で、自分は普通に肉食もしてたのだけど、
2年くらい経ってから、ふと急に、スーパーで普通にカットされてパッケージングされたお肉売り場が異様な光景に見えてしまい、
肉食への疑問が一気に噴き出してしまったのです。
「なんで自分で殺せない牛や豚を、
どういう風に殺されて、どう加工されているのかもよく知らずに
何の疑問も持たずに、こんなに当たり前に食べてるの!?」って。
当時仲の良かった友達の影響が、潜在意識下で数年のタイムラグを経て表に出た。
気づいていなかったけど、それだけインパクトが大きかったのでしょうね。
(もしくは、その友達をトリガーとして覚醒のスイッチを入れるために、
わたしのハイヤーセルフが配置させた、とも言える)
そこから急激にストイックになってしまって
しばらくヴィーガンになっちゃったんですけど(やることがいつも極端なB型…)
ふと、なんかあんまりストイックになり過ぎてもしんどいかなーと思って
今は、たんぱく質は主に大豆・卵・魚介中心にして、肉食はできるところだけやろーみたいな感じになってます。
目の前にお肉料理があれば、感謝していただく、みたいな。
生理前とか無性に食べたくなる時も(ごくたまにですけど)ありますしね。
(あ、そういえば革製品はほぼ買わなくなった)
でも、たった数日前に思ったのだけど、twitterで流れてきた短い映像で
ダイバーが海底で透明なビニール袋に誤って入り込んでしまった魚を見つけて助けるっていうシーンで、
その小さな優しさに「じーん」としたのも束の間、
「ん?じゃあ、漁師さんが捕獲した大量の魚には何とも思わないのに
何で、たった1匹の魚が助けられたことには喜ぶんだろう?」
って、疑問に思ったのです。
漁師さんが大変な思いをして獲ってきてきてくださった魚たちは、
わたしたちが生きる上で大切な食料になるという面もあるけど、
魚側からすれば、いきなりわけのわからない網に大量の仲間とともに海水の無い空間に引きずり上げられて
息苦しみながらそのままシんでしまうより
その命が尽きるまで海で泳ぎたかっただろうなって。
こんな矛盾を感じるくらいなら、もういっそ命をいただく行為を止めにしたいわーって。
そう思ったところに、このバシャールのメッセージ。
そういう意味で、もう究極の自給自足になればいいよね、共生がいいよねって、
冒頭の言葉の真意がこれです。
つくづく地球は、学びを与えてくれる場所なんだなーと思う。
時間はかかると思うけど、人類はいずれ究極の自給自足になれると思います。
それまでに現代のわたしたちができることは、意識だけは高く持たなきゃいけないなって。
本当に必要なものと、あー何だ、別に要らなかったんじゃん、というものを判別して
手放すものは徹底的に手放すタイミングのこの時期に、
そういった「今まで疑問にも思わなかった常識」とか「既成概念」も
取捨選択していければいいですよね。
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